響け!ユーフォ二アム奇譚
2021年 夏
zhuo
まえがき

本論は、武田綾乃先生の原作小説で京都アニメーションがアニメ化した「響け!ユーフォニアム」に筆者が触れているうちに心のうちにわきあがってきた荒唐無稽な妄想の記録である。

本論の内容はまったくのでたらめであり、意味のある主張と受け取ってはならない。その理由は次の三つである。

一つ目に、本論は論理的な「読解」ではない。読解とは、原典テクストを一言一句分析し、そこから得られる知見を全体にわたって統合して或る一つの見解にいたるボトムアップの過程であって、原作小説の記述の中に不一致の部分があってはならない。しかるに本書の内容は「直感的にひらめいたもの」であってボトムアップの論理の積み重ねの帰結ではないし、原作小説の記述のうち「うまく当てはまる」ところだけを拾い、合わないところには「目をつぶっている」のだ。

二つ目に、本論の直感的な思い付きは専門家によるものでない。もし仮に筆者が東洋思想の専門家であったなら「響け!ユーフォニアムは全編にわたって東洋思想のこれこれを前提にしているのではないかとひらめいたのです」という主張も許容されるだろう。しかし専門知識を持たない筆者が「これは東洋思想にいうこれこれではないか」と述べてもこじつけでしかない。かつて、「聖書に世界の破滅が予言されている」と説く珍書が流行した。たまたま見かけたスポーツ新聞のゴシップ記事を論拠にしてみたり全編むちゃくちゃで爆笑また爆笑の一冊であったが、本論の妄想もそれとまったく同類の支離滅裂ぶりを誇るものである。

三つ目に、かくもでたらめな妄想をこのように書き記し人目にふれるようにすることは、原作の正しい意図と無縁の誤読を広める悪行であり、原作の冒涜でさえあるからである。

ではなぜ本論を書いたのか。文学など無縁で来た哀れなおっさんである筆者が、「響け!ユーフォニアム」という文学作品に接して、そのあまりの衝撃にここまで膨らませた奇々怪々なる妄想---矛盾だらけで意味不明な見解のかたまりだけれど、それを書き残すことが、筆者が生きて文学と言うものに触れた記念になるかなと思ったからである。

「響け!ユーフォニアムを正しく読まれている方たちを、はぁ?と言わせる準備はできましたか?」できていると思う。いったい、響け!ユーフォニアムのどこをどう読んだらこんな珍妙な妄想がわいて出るというのか? どうか本論を誤ってまともに受け止めてしまわないよう念をおして、前書きとする。


目次
1. 地の章 - 龍の気配 - ver.0.4 (2023年5月28日) 2. 人の章 - 舞台と役者 ver.0.3 (2024年5月15日) 2補. 響け!ユーフォニアムの形成過程 ver.0.1 (2022年9月7日)
3. 天の章 - 音と光が示す世界観 暫定Ver.0.0 (2023年8月21日)